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明日を照らす希望

 騙されちゃいけない

 

 朝晩の冷え込みが厳しくなってきた10月、私達チーム次元は1か月ぶりに気仙沼大島を訪れた。前回初めて取り組んだ仮設住宅の住民へのインタビューでは、まさに私たちが知らずに過ごしてきた、仮設住宅の実態や問題を学ぶことができた。震災から3年半が経った今、大島の仮設住宅に入るボランティアやメディアの報道が少なくなってきている。仮設住宅に住むひとびとが何を感じているのかを知り・伝え・力になりたいという想いで、今回も仮設住宅を訪れ、前回インタビューに協力してくれた住民の方を再び訪ねた。

 

 Q:この1か月で仮設住宅に変化はありましたか? A:デイケアサービスに通う人が一人増えたよ。高齢者には普通の生活をひとりで送るのもきついからね。

 Q:今でもボランティアは支援に訪れていますか?

 A:来てくれているよ。コンサートを開いてくれたり、立教大学が子どもたちに学習支援をしてくれたり、一関からはるばる野菜を届けてくれる人もいる。でもこれ以上お世話になるのは申し訳ないという気持ちもする。はるばる来てもらってもなにもお返しすることができないからね。

 Q:現在仮設住宅の中で抱えている問題はありますか?

 A:車いすのスロープが腐って老朽化しているね。

でも行政に電話してもすぐに直してはくれないんだけど。あとは地盤の影響なのか、雨が降ると水はけが悪くてあちこちに水たまりができてしまうよ。

 Q:個人的に抱えている悩みはありますか?

 A:最近は夜でも寝付くまでに時間かかるね。寝付くことができても朝3時くらいに目が覚めてしまう。あと、今でも地震があると、震源地を必ず確かめないと気が済まない。他の人も地震が来ると敏感になっているみたいだよ。

 Q:大島は養殖業が盛んだと聞きました。養殖は震災以前と比べてどうですか?

 A:ものによるけど、震災以前と比べると半分以下の水準だよ。大半の家庭もやめてしまったし、再建できたのは一部だけだよ。その人たちは国と県から補助をもらって6分の1の自己負担で再建した。でも住宅再建にはそういった補助は何もなかった。一部の人だけが得しているような気がするよ。

 Q:大島と本土の間に橋が架かると聞きました。

 A:医療の面では良くなるだろうね。今までは急病人が発生すると救急車→船→救急車で本土の病院まで運んでいた。荒天時は船が出ないこともあった。買い物へ行くのもより便利になるだろうね。ただ、人口は今以上に流出してしまうかもしれないな。

 Q:人口が減っているんですね。

 A:大島には仕事がないから、特に若い人は仕事を求めて県外に行ってしまう人が多いね。一度県外に出て行ってしまうと、大島に戻ってくる人はほとんどいないよ。

 Q:若い人がいないと問題も起きてくるんじゃないでしょうか。

 A:跡継ぎがいないから養殖は続かないし、家を再建しても自分がいなくなった後に住む人がいない。だからこそ、仮設に住む高齢者はみんな復興公営住宅への引っ越しを希望しているよ。

 Q:公営住宅とはいえ、やはり仮設よりはましですか?

 A:仮設はやっぱり仮設だし、何より自分のものではない。修理とかも勝手にできない。でも高台移転計画と一緒で、復興公営住宅の建設も一向に進んでいない。平成27年10月に出来る予定だったのに、28年10月に延期された。これも計画通りに行くか怪しいけどね。期待して騙されちゃいけない、そう思っているよ。

 今回のインタビューを通じて私たちが感じたことが2点ある。まず1点目は、大島が抱える問題の根の深さである。仕事不足、後継者不足による産業衰退、若者を中心とした人口流出、行政への不信、これらはすべて震災以前から地域に内包されてきた問題である。それが震災を受けて、さらに深刻化してしまった様子がうかがえた。1つのキーポイントとして住民が期待しているのは「架橋」である。大島と気仙沼をつなぐ橋は人口増加のチャンスともとらえることができる。本土へのアクセス改善は不便な生活を向上させ、新規産業の呼び込みに成功すれば雇用創出につながる。伺った話にも「子ども主体の観光戦略が重要だ」とあったように、観光産業にとってもチャンスとなりうる。架橋を契機に島の魅力を増大することができれば、若者を中心とした人口も増えていくことが期待されるだろう。

 2点目に感じたことは、明日への希望を失いかけている仮設住宅の住民の姿である。仮設住宅はあくまで「仮住まい」であり、住民が求めているのは「自分の家」である。高台移転による自立再建は厳しくとも、公営住宅への移転は復興へ向けた大きな一歩、希望となる。しかしその公営住宅の先行きも不透明である。

当初の予定より完成が大幅に延期された。すでに3年も仮設に住み、少なくともこの先さらに2年は住み続けなければいけない。高齢者にとっては、完成を自らの目で見ることができるのか、ということも切実な問題である。公営住宅の入居抽選が始まった他の地域の仮設住宅では、住民が「もうすぐ公営住宅に入ることができる」と嬉しそうに語っていた。そんな「明日を生きるための希望」ともなりえるものが、この島には欠けたままになっているのではないだろうか。

 

大島を訪れて

 2014年10月18日・19日、私たちチーム次元は気仙沼大島を訪れた。インタビューを通じて私たちが感じたことを紹介したい。

 

◇中央大一年 中村

 今回、私は初めて大島を訪問したが現地の方のお話しを聞いての率直な感想として、大島の人々は心の中で将来に対して諦めの気持ちを持っているのではないかと思った。私はこれまで、大島の他に二箇所の被災地に行った。それらの被災地では皆現状や将来に対しての課題や不安を何かしら感じていたが、そのような状況を自らの力で打開しようとする意欲を持ち、また実際に課題を解決すべく行動にでていたように見えた。しかし、私の印象では大島の人々はとても明るく、楽しいお話しをできるように思えるが、その会話の節々にどこか諦めの気持ちがあるのか、今ある状況が変わってほしいと思っているが、自分から行動を起こすわけではなく、行政が動き状況が改善することを待っているという感じがした。これから先、復興に向けて私たちのようなボランティアがより活動をしていくことももちろん大切なことであると思うが、実際に現地で生活をしている人々の気持ちに少しでも変化が起き、実際に状況を改善し、もっと大島の方々と楽しくお話しをしながら関わり合えるようになりたいと思った。

 

 

◇中央大四年 須藤

「仮設住宅はあくまで仮設であり、全体的に見ればたしかに復興は進んでいるが仮設住まいである限り復興したとは言い切れない」というお話を伺った際に現地と東京の認識の差を痛感した。やはり現地で実際に生活している方の考えを直接聞くことは実感を伴って迫ってくる。すでに3年を仮設で過ごし、さらに最低でも2年は仮設住まいが続くという事実は、仮設住宅がもはや仮設ではなくなってしまっていることを示している。

 漁業関係者の補助金に関して立場によって見解の相違がみられたことは印象的であった。漁船などは6分の1「のみ」の負担であっても被害を受けた漁師の方にとって大きな負担であることは間違いない。しかし、今回のインタビューで明らかになったように、補助を受け取っていない側から見れば受け取っている人が得をしているように映ることもまた事実である。補助を受け取っていない側の方から直接話を聞くのは初めてであったため、改めて同じ「被災者」としてひとまとめにすることの危険性を認識した。

 

◇中央大四年 安原

 仮設住宅にお邪魔した瞬間、感じたのは「静けさ」だった。休日のお昼時だったからかもしれないが、まるでそこに誰も住んでいないかのような雰囲気を感じた。この味気のない、壁の薄い、仮住まいと位置付けられた「住居」に、3年半も住み続けている人が大勢いる。建物に入れば、にわかには信じがたい事実だと気付かされる。震災は終わっていなかった。しかし今回のインタビューのなかで、復興への熱い「気持ち」や「志」を感じることはなかった。ただ疲れ切り、どこか現実を諦め、ただ受け入れるしかなく、静かに、今を生きている様子だった。報道からは伝わらない、冷たい現実だった。東京はおろか、たとえ大島に住んでいても、この実態をつかむことはできないだろう。東北の人は多くを語らないためである。苦しい境地などなおさらだ。第三者として、私たちに思いを吐き出し、少しでも心を軽くしてくれるのなら、今後もこの島に通い続けたいと思う。

 

◇中央大四年 塩入

 私自身は、前回のボランティアから約2年ぶりの大島訪問であったので、二年間でどのくらい復興が進んでいるのか、とても気になりながらの訪問だった。仮設住宅に住む方にお話を伺うと、復興とは遠い現実があると感じた。

 お話の中でとても印象的な言葉があった。「仮設は自分の住んでいるとこだが、自分のものではない。」都内でアパートなどを借りる場合も自分のものではないが、それとはまた違った意味合いが伝わってくる。仮設はあくまで仮設でしかなく、物理的にも、精神的にも、「我が家」と言える環境ではないのだ。当然と言えばそれまでなのかも知れないが、その「当然」と言える現実を改めて突きつけられた瞬間であった。

 被災地の人が「当然」に感じていることも、東京に住む人にとっては、日々当たり前に感じられることは少ないと思う。ボランティアには様々な形があるだろう。ただ、こうして訪問して、「当然」の状況で暮らさざるを得ない方々が今もなおいるということを、未だに被災地なのだということを、忘れることなく伝えることもまた大切なのではないかと感じた。

 

私たちはチーム次元です

2011年10月より活動を開始。気仙沼大島を中心に活動する復興支援団体。所属は中央大学。漁業支援を主軸に様々な活動を行い、これまで述べ二六七名の学生が参加した。今回が五四回目の活動。

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