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震災から三年半

仮設住宅の今を追う

 

 チーム次元の活動では、これまで仮設住宅を訪問してこなかった。それは複数のボランティア団体がすでに様々な活動を行っていると聞いてきたからだった。

震災から3年半経った今、大島の仮設住宅に入るボランティアが少なくなってきたことやメディアの報道が少なくなっていることから、仮設住宅に住むひとびとが何を感じているのかを知り・伝え・力になりたいという想いで、今回ある仮設住宅を訪ねてお話を伺った。

 

 Q:最初に仮設住宅に入ったときは、どのようなことを感じましたか。

 A:みじめだったねぇ。公営住宅に入りたいひとや高台移転したいひとは、ここに来るしかないんだもの。さらにはこれまではみんな、大きな一軒家に住んできたのに、机に物を置いた音さえ隣に聞こえてしまうからね。

 Q:仮設住宅で3年間暮らしてきて、どのような気持ちですか。

 A:落ち着きを感じたことがないよ。いずれは出て行く場所だからね。公営住宅が1年でできるか3年かかるのかもわからないし。わたしはあと1年でできるだなんて思わないけれど。

 Q:暮らしの中で困っていることはありますか。

 A:ここで生活するには車が欠かせないよ。だからひとり暮らしの高齢者や車のないひとは、買い物も誰かに頼んだり、車に乗せてもらったりしないといけない。大島にはタクシーがないからね。バスも本数が少なくて不便だし。もうひとつは、冬は天井に結露ができること。一日に2回も拭かないといけない。カビが生える仮設住宅もあるみたいだね。そういえば、冬に壊れた給湯器を市がまだ直してくれてないよ。

 Q:仮設住宅のご近所の方とよくおしゃべりしますか。

 A:3年もいると、会うと立ち話するくらいにはなるよ。仮設住宅の外の地区のひとは名前もわからないけどね。もともと住んでいた地区では、あの家に誰が住んでいるかなんて、地区のみんながお互いにわかっていたものだよ。

 Q:外部からやってくるボランティアのことをどう思っていますか。

 A:何度も繰り返し来てくれたり深く関わってくれたりすると、とてもありがたいと思うよ。ボランティアさんに誘われて、普段出てこないひとが出てくることもあるからねぇ。

 

 大島はいくつかの地区から成り立っている。長い間、それぞれに強い結びつきの中で暮らしや仕事を行ってきた。震災後、被災した人々は住み慣れた地区から散り散りになって仮設住宅に住むことになった。別々の地区から集まった人々を繋ぐ仕組みはない。さらに、仮設住宅の周りには震災以前から住んでいる人々もいる。「同じ地区」に住んではいるが、人々が今まで感じてきた深いつながりはない。

 一時的な住処である仮設住宅。愛着を持つべき場所でないと感じている人がいることは確かだ。しかしそのような状況でも、どうにか明るい気持ちで暮らしを送ってほしい。そのためにわたしたちができることは何だろうか。

 

 

大島を訪れて

2014年9月17日~19日、私たちは同じ学部の中央大学生四名で気仙沼大島を訪れた。全員が震災以降、大島に二度以上訪れている。大島を訪れるなかで学生はどのようなことを感じているのか、簡単に紹介したい。

 

◇一年 打越

 気仙沼大島にボランティアで来たのは二回目で、今回初めて仮設住宅で暮らしている人々にインタビューをした。非常に人の良い方で、積極的に質問に答えてくださった。

 未だに解決されていない仮設住宅での問題を具体的に知ることができた。交通の面で不便であったり、周りの住人とは互いの事をよくしらないため、コミュニケーションを取りづらいという事などは、仮設住宅で暮らす住人にとって、居心地の悪さを感じさせてしまってるようだ。

 また、公営住宅が未だに建設されておらず、住民は大きなストレスを抱えたままでいる。「早く公営住宅を作って欲しい!」という言葉が印象的だった。

 最近では、周辺の人々と話してコミュニケーションを取ることが多くなったり、様々なボランティア団体のおかげで、リラックスを取ることも出来ているようである。

 ボランティアをする人たちが、同じ仮設住宅で暮らす人々同士が繋がりを持つきっかけを用意することや、公営住宅をなるべく早急に建設することが大切なのだと思った。 

 

◇四年 安原

 私が初めて大島に来たときに感じたことのひとつは、とても不便な場所だな、ということだ。まず本土から大島までフェリーに乗って海を渡らなければいけない。公共交通機関が充実しているわけでもない。交通、買い物、万が一の怪我や病気、仕事など、この島は不便なことだらけの場所だと感じた。

 しかし私が感じる大島の魅力は、そんな不便さによってもたらされているのかもしれない。生活が不便だからこそ、近くにいる人と協力しなければいけない。

困ったときは誰かの助けを借りなければいけない。不便な部分を少しでも埋めていくためには、人と人との繋がりがとても重要になる。今回の仮設住宅訪問でも、人とのつながりが仮設における問題を食い止めている様子が伺えた。

 私はそんな人間関係の濃さが大島の魅力だと思う。実際は人間関係の濃さから生じる面倒な部分も多くあるかもしれない。しかしここへ来ることで、いつも誰かとつながっている、そんな実感や安心をこの島は強く感じさせてくれるのである。

 

◇四年 上城

 仮設住宅に暮らすひとから初めてお話を伺った。

 話の途中、「家」という単語が出てきたときのことだった。つけ加えるように小さな声で「家じゃねぇ、仮設だ。」とつぶやかれたのを聴き、胸が詰まった。

 本来、家とは帰る場所、安らぎの場所、起点となる場所だろう。仮設住宅を作るとき、議論をするとき、そのような機能が後回しになっているように感じた。このようなことを言うのは簡単だが、実際には難しい。

 大学生活を通して、再興するときや新しく興すときに必要となるのは、莫大な熱量をもった個人の存在だと考えるようになった。あるキーマンが共感を集めていくこと、分野や所属を越えて仲間を集めていくことが歴史や文化を塗り替えていくと思う。現在の社会で、どのようにそのような人物を輩出していけるだろうか。東北だけでないすべての地域の課題解決に欠かせない要素だ。

 人が求めているものは、モノばかりではない。大島にお手伝いに来るようになってから、より一層強く感じるようになった。伺ったお話を胸に、再び大島を訪れたい。

 

 

◇二年 松山

今回、初めて仮設住宅を訪問し、仮設住宅に暮らしている人にインタビューをさせてもらった。震災から約3年半が経過し、人々の暮らしは徐々に回復してきている。しかし、先送りにされる公営住宅の建設、先の見えない仮設住宅での暮らし、交通面での不便さなど、今回の訪問で改めて解決しなければならない課題が残っていると感じた。「仮設住宅に3年暮らしてきたが、未だに落ち着きを感じたことがない」、この言葉が非常に印象的だった。しかし、インタビューをしていく中で定期的にボランティアに来ている高校生の話を聞いたときは非常に嬉しく感じた。とても楽しそうに話をしていたからである。私たちのような学生にはたいしたことはできないかもしれないが、このように少しでも現地の人々を元気付けることが私たちの役目のように感じた。 

 

私たちはチーム次元です

2011年10月より活動を開始。気仙沼大島を中心に活動する復興支援団体。所属は中央大学。漁業支援を主軸に様々な活動を行い、これまで述べ二六七名の学生が参加した。今回が五三回目の活動。

 

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